深呼吸できる場所のお話。

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令和元年、世の中は連休の真っ只中ですね。
私はいつもどおりお仕事なのですが、祝日だからか道路がいつもより空いていて、電話も少なく、時間が心もちゆっくり流れているように感じています。

今年度からは、遠方に住んでいた母を京都で引き取ることにしました。
最近感じるのは、ほんのちょっとで良いので、気持ちを切り替える時間が必要やなぁということ。

毎日生きることに必死やったりすると、知らないうちに削れてしまっていたりします。
なので、1日のうちほんの10分、深呼吸して、いろんなものをその時間だけ手放すことを意識しています。

心のシンボルツリーにしている桜の木があります。
いつかの台風で幹がふたつに割れて空洞になってしまっても、新しい枝をのばして花を咲かせてくれはる木です。
うちに帰る前は、その木にちょっと寄り道。根元に座って、ぼぉっと深呼吸しています。
じわじわ~っと、澄んだ水がしみてくるような感じがします。

みんな何かしら抱えて、いろいろあると思うんですが、時折、お気に入りの場所で深呼吸してみてくださいね。

2019年のお気に入りの桜のお話。

 
とんでもなく久しぶりの更新になってしまいました。本当にご無沙汰しております。

昨年度は公私ともにいろいろなことがあり、今も相変わらず東奔西走な感じですが、ボチボチ生きています♪
今年度の目標は、2つのお仕事と身内のケア、3つをやりくりするのが目標です。

今年は桜が長く咲いてくれはって、嬉しいです。
私のお仕事の一つは訪問看護なのですが、この時期、「お花見リハビリ」と称して、ご利用者さんやそのご家族と桜を見に行くのが愉しみやったりします。
「花だけは足らん、泡の出る黄色いのんが飲みたい!」と言われたりしますが…^^;

入院されていらっしゃる利用者さんには、桜の出前。上の桜の写真を引き伸ばしたものと、コツコツ集めた桜の花びらを病室にお届けです。ある方は「令和」と書いた紙を病室に貼っておられ、リクエストに応じて、その紙に写真と花びらを貼ることに。
令和に花が咲いたねぇと、手をつなぎながら、穏やかな時間を過ごしてきました。

私にとって桜は、いろいろな時代のいろいろな方々と結びついて心に残る、不思議で特別な花です。
その時のエピソードは、桜の季節を重ねるたび、鮮明に思い出すことが多いです。

平成最後の桜、どのようにご覧になってはるでしょうか。
皆さまの年に、素敵な花が咲きますように。

どうしようもなくしんどいときのお話。

世の中、努力が報われへんこと、理不尽なこと、たくさんあると分かっているつもりでしたが、気が付いたら、気持ちが崖っぷちやったです。
いろんなマイナスが小骨のように喉元に引っかかって、地味に存在を主張し続けるし、それに引きずられる自分も嫌やなぁ、めっちゃ息苦しいなぁと思うています。
 
若かった頃、よく言うていた言葉があります。
「どうしようもないことを考えるだけ無駄。自分の貴重な時間や思考を割くなんて、もったいない!」
 
でも今の自分にそれを言われたら、結構キツいなぁと思うんですよ。
 
自分の意思だけではどうしようもないこともあって、心身が疲れるほど、自分の想いとは裏腹に、急速に消耗させられることもあって。
傷つかないでいようと思うと、かえってドツボにハマったりして。
 
前置きが長くなりましたが、
風穴を開けたいなぁと思うてたときに、とある先生からヒントをもらいました。
 
こんなときこそ、いろんな妄想したらええねん!
その妄想が次につながったりもするし、身体は鍛えとこうな!
 
そこで…。
腐海という名の会議でいろいろ侵食されたときは、
市民プールで合計2500m泳いでみたり。

夜、ぜんぜん眠れへんときは、
「そうだ、とにかくどこか行こう。」と決意してみたり。
いざとなったら実行できるように、荷造りや片付けをしてみたり。
(昨夜は飛行機に乗ることを想定して、機内に持ち込む手荷物を作っていました。
 夫は「またやってるわ」と生温かい目で見守ったはりました。)
見知らぬ土地に行くとしたら、何してみたいやろうと、割と真剣に考えてみたり。
 
20180926今日はその手荷物を持って、普段降りへん駅のマクドでこれを書いています。何か少し自由な気分です。
 
現状は決してまっさらにならへんけど、頭に浮かべた真っ白な画用紙に、ひたすら好き勝手に落書きすることはできます。
未来の自分にいろんな妄想の数々を渡せたらええなぁと思うてますよ。

私物は軽自動車一台分のお話。

DSC_0535最近は息つく暇も忘れ、日々生きるのに必死だったのですが、8月最終週の土日は完全オフにしました。
そこで実施したのは、自分自身と、部屋のメンテナンス。緊急の案件もなく、2日間清々しいくらいひきこもったことで、かなり生き返ることができましたよ。
 
 
部屋に関しては、もともとミニマリストを自負していましたが、改めて整理すると30Lのゴミ袋が一杯に…。
この半年~1年全く使っていないことに加え、思い入れがなかったものを断捨離。多くはいつか見るつもりやった資料のスクラップや雑誌、消耗品として散々着倒した衣類、もらいもののお菓子(甘くて食べきれず)、毛染めの道具(ヘナ染めをやめたので)等々…。

私にとって丁度よい私物の量は軽自動車1台分。
写真は台所用品以外の私物が入った押し入れです。布団一式と合わせて、軽自動車の後部座席に無理なく積めます。
1年間のワードロープはハンガーにつるしてあるのと、折りたたみコンテナにある冬物やインナー類のみに集約。これ以外に部屋にある私物はピアノですが、これも軽自動車に積載できます。

台所用品も冷蔵庫とスチールラックを除けば、積み込める計算をしています。
いざという時はどこかエスケープできるくらいの身軽さがあることで、train-train♪と見えない自由を感じていたい今日この頃です。

海の向こうに父を送るお話。

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早いもので今年の8月ももう後半ですね。
ほとんど余裕がないまま、お盆も終わり、気持ちと身体はずっと連勤気分でした。ようやく今になって一息ついています。

私にとってお盆といえば、実父と義父の命日にあたります。
お盆の入りが義父、終わりが実父。
なので、この時期はふたりが連れ立って帰ってきてくれはるような気持ちでいます。

お盆が始まる頃はお寺の迎え鐘が鳴り、霊感は全くない私でも、おしょらいさんが帰ってきてくれはることを感じて、気持ちが温かくなります。迎え火を焚いたり、きゅうりの馬を作ったりはしませんが、鐘の音に「仲良う帰ってきてください」と手を合わせることが習慣です。

お盆の終わりの頃はここ数年、母の里にいるので、おしょらいさんをお送りする五山の送り火はご無沙汰です。
誰も看取ったことがなかった頃、送り火は私にとって、夏の最後を演出するような一大行事でした。
でも今は送り火を見ると、こちら側で一緒にいられないことが沁みて、じわっとしたものを飲み込むようになりました。

母の里に帰省する期間は限られているので、あれこれと用事に追われ慌ただしくなりがちです。
でも、8月16日は買い物帰りの黄昏時、父が好きだった岬が見える砂浜で車を停めました。

風は凪いでいて、めずらしく海面が鏡のようでした。そこにできたのが一本の光の道。
ねぇ、父さん、できるだけゆっくり行ってね。
私は変わらず頑張るから、向こうから母さんの見守りをよろしゅうね。
お義父さんのほうは京都の送り火で行かはるから。
またお酒でも酌み交わしておいてくださいな。

心の中でつぶやきながら、光の道に手を合わせていました。